Sekabe Log

ドライブ好きなオタクの雑記帳です

平成の終わりに寄せて

 僕が、自身が生まれ育った時代である平成の終わりを唐突に実感してしまったのは平成最後の日、4月30日の朝だった。

 天皇陛下生前退位が決まった時も、「令和」という新元号の名前が発表された時もあまり感じ入るものはなく、「あ~平成終わるんだ」とノンキに構えていた僕だが、今日の朝、ようやくその事の大きさというか、自分の中に対する影響の大きさに気付いたのだ。もう少し平成という時代の最後を噛みしめておけばよかった、と最後の最後で気付いてしまったのだ。

 一度気付いてしまうと、切なさというか虚脱感と言うべきものが去来して、ちょっと悲しくなった。例えるなら子供の頃から一緒に暮らしていた飼い犬を亡くしたような気分だった。

 

 僕の周りにあるもの、僕を僕たらしめてきたものは――当たり前だが――すべて平成の産物だ。

 世代交代してきたプレイステーションの初代からPS3だとか、

 スマートフォンに取って代わられたガラケーだとか、

 ブラウン管テレビやVHSだとか、

 中高生の頃読んでいたラノベだとか、

 おもしろフラッシュ倉庫や個人HPのリンク集だとか、

そういったものが本当に過去になろうとしている。平成という時代の中での移り変わりや変化はあったが、それは体感的にはひとつながりであって、それが今まさにぷっつりと途切れようとしている。少なくとも自分の中では。

 そういうのを感じ取ると自分の中で一段階大きく老け込むというか、なにか胸にぽっかり穴が空いてしまった気分だ。まだ十分に若者のはずなのに、自分の時代が終わってしまったかのように感じてしまう。とてもむなしい気分だ。焦りもある。

 

 平成という時代に別れを告げるのが寂しいのか、自分の中の活力的なものが平成とともに置き去りになってしまうのが空しいのか、よくわからない。もうあと数分もない平成を惜しんで、令和という時代に適応していけるか不安を抱きながら、この文章を締めさせていただく。